忘れない日
12月8日・・・昭和16年12月8日、真珠湾攻撃で大東亜戦争が始まったのですね。
忘れもしない!! 間もなく30歳の父や叔父(叔母の連れ合い)に赤紙・・・。
4人と間もなく生まれる子供達を残して叔父は戦死。他に親族では4人の戦死者。
父は、運よく復員しました。戦中戦後の苦しく貧しい暮らし・・・忘れもしません!!
この頃は、国政に携わる人も終戦後生まれ。昭和20年生まれで75歳でしょうか。
そのうちに、昭和16年12月8日、思い出す人も無くなるのでしょう。
きょうもいろいろありましたね。宇宙のことは・・・
今は新型コロナウイルスの事がどうなるのか・・・考えるともう、疲れました。
📷 12/8(火)
お昼に「鍋焼き蕎麦」を食べながら、
戦時中の食べ物を思い出していた。
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遠音さん 大事なことを・・・
ぴよんちゃんのことご心配でしたね。どうか早く治って又、
元気に活躍なさるように祈ります。 hiro
投稿: hiro | 2020年12月 9日 (水) 22時15分
michi 様 こんばんは。
14歳離れて妹がいるのですが、戦後生まれ・・・でももう71歳で、私の暮らした時代とは
随分違っていて羨ましい時があります。戦時中の事を話すことは殆どありません。
恐ろしいほどに、みんな上に従っていましたから、小さい弟達が3人もいて、隣組の防空壕作りに
参加できなかったおり、母が「爆弾が落ちて死ぬときには家族一緒に死んだ方がいい」と言いましたら、
回りまわって「しょっぴかれた」そうです。イナカでしたからよそ者は大変だったようです。
間もなく終戦となり、今夜からゆっくり休める!と安堵したものです。
新型コロナ・・・どうなるのでしょう。 先ずは罹らないように充分気を付けましょう。
投稿: hiro | 2020年12月 9日 (水) 21時38分
遠音さん こんばんは。
東京大空襲の後、小樽へも子供疎開が親族を頼って来て多くなりました。私の家族も
父が出征で居ないと言うことで、祖父母の家で暮らしました。大勢の家族で私は楽しかったのですが
子供ですねぇ。夜の怖かったこと。サーチライト、高射砲の音・・・今でもはっきり覚えています。
20代で戦時中を過ごした叔母も叔父も誰ももういなくなりました。
投稿: hiro | 2020年12月 9日 (水) 21時18分
hiroさん、お変わりありませんか
「ニイタカヤマノボレ」当時の事は知りませんが、無謀な戦いをしたものですね。
どれだけ多くの国民が苦しんだか・・・、 hiroさんご家族も多くの犠牲者を出され
何年過ぎても心が痛みますね。 我家は戦死者は出なかったようです。
コロナでは全国的に感染者、重傷者、死亡者も増え、太平洋戦争以来の危機
の感がします。 旭川の病院等では危機的状況で、全国医師会会長初め多く
の人たちがGO TOの一時停止と一時的に人の移動を止める様訴えていますね。
政府も本腰を入れて防止対策を取って欲しいものです。
寒い時にはなべ焼きそばはご馳走ですね。 私もなべ焼きうどん大好きですよ。
益々寒さに向かう折、hiroさんもくれぐれもお気を付けてお過ごし下さい。
投稿: michi | 2020年12月 9日 (水) 18時49分
hiroさん思い出すのさえ辛いですね・・今再放送の「純情きらり」を見ました。
場面は3月10日の東京大空襲です。
戦争は遠くになりましたが・・遠くに置いて消して終わぬようにしたいと
思っています。 ただ語る相手がいなくなりましたね~~
hiroさん お元気でいて下さいね。
投稿: 遠音 | 2020年12月 9日 (水) 17時38分
ふきのとう様 こんにちは。
戦争前と、戦中戦後の暮らしはすっかり変わりました。農家の祖父母の傍でしたので、
他からしましたら恵まれていましたけれどね。子供心にも勝つと信じて頑張っていました。
終戦時10歳、国民学校4年生。このころの事しっかり覚えています。
今でも、サイレンの唸りを聞きますと当時のことが思い出されます。グラマンが夢に出てきたりするのですよ。
投稿: hiro | 2020年12月 9日 (水) 13時33分
鍋焼き蕎麦、いつもながら丁寧に料理されて、とても美味しゅうございました。父はは独身時代と結婚後の二度の戦争に出征し、兄は油送船に乗っていましたが二人共に生還しました。伯父はガダルカナルで玉砕に遭い、遺骨は無く、軍靴と眼鏡が遺品として祖母の手に届き、村葬の席で来賓を前に、祖母は「立派なお葬式を上げていただきましたが、私は皆さんにお礼が申せません」と言ったそうです。辛うじて防空壕の記憶が残っております。
投稿: ふきのとう | 2020年12月 9日 (水) 08時44分