« 盂蘭盆会 | トップページ | 花手水・ダリヤ »

2020年8月15日 (土)

終戦の日

 戦後75年を迎えた「終戦の日」。
戦中戦後のことなど思い出したくないという思いと、孫達にも良く言い聞かせなければという思い、
複雑に交錯します。

あの戦争で軍人、軍属約230万人、空襲や広島・長崎の原爆投下などで亡くなった民間人80万人。
この中には、ノモンハン事件で亡くなった親戚の息子や、終戦の年の5月に亡くなった叔父、
終戦後20代だった叔母達のことを考えると腹立たしくもあり悲しい時代。もう、2度と
戦争をしてはなりません。憲法で戦争放棄を誓っているはずですが・・・・。
戦後しばらくして、出生地北朝鮮へ渡った父親と子供達、日本で中学卒業した子供達も
もう、80代。みんなどうしたか。日本に暮らしていた時も大変な暮らしだったから、祖国への夢
たちがたく、みんなが留まるように勧めたそうだけれど帰国したのですよね。
弟達と同じ年齢。あどけない笑顔を思い出すのですが、辛いことです。

きょう、実家のお寺詣りしました。何時までも親不孝で暫くぶりのお詣り。
納骨堂は本家と別家(実家)並んでいます。
お供物は各自片付けてとありますが何やら沢山のお供え物。私は両家のお供え物を片付けて扉を閉め
帰宅しましたが、私がお詣り最後かな?余計なことしてと叱られたりして・・・。

 📷 8/15(土) 今日の1枚。

お盆に祖母の作ったハマナスの実のお数珠のお供え思い出して。

Img_1084

« 盂蘭盆会 | トップページ | 花手水・ダリヤ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 遠音さん こんばんは。
戦時中、戦後のことを思いますと、身内の者のことだけでも話すと涙が出てきます。
思い出したくないと思っても、終戦の日はこれからも続くでしょうけれど、戦後生まれが語ったところで
どうにもなりませんね。戦地に赴いた叔父は、自分の子を写真で見たかどうか。身ごもっている叔母を気遣って
出征。子供たち5人と両親をおいて、終戦の年の5月に亡くなりました。
終戦後、しばらくして北朝鮮に渡った父親と子供達。母親が戦後亡くなったので、末の女の子が、父と兄達の
世話をしなければと一緒に北へ行ったそうです。母親は日本人で妹が小樽に在住。私と同じ年齢ですから
会うと子供達の話をします。北朝鮮に帰って音信不通。情けないですね。
みんなしっかりした人達でした。どうしているかしら。
遠音さんも、思い出の中に・・・ブログに載せたことありましたね。

朝鮮の子は・・みんな長い列車に乗って・・炭鉱町を離れ祖国へ帰ったのでしたよね。
あの時の子らはみんな生きているでしょうか?こんなお話がブログ上で
出来るのも数少ないですもの・・

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 盂蘭盆会 | トップページ | 花手水・ダリヤ »