弔い
5月2日、連れ合いが亡くなりました。
書きますと長いことになるのですが、それに、ブログへ載せるのもどうかと
考えていました。でも、それではブログも続かないことになりますのでお許しください。
夫は、88歳の誕生日を前に長い旅立ちをいたしました。約 3週間の入院、手厚い
治療も虚しく・・・、関係者の方々には大変お世話になり篤くお礼申し上げます。
本当に長い療養生活でしたが、その間の精神的葛藤は大変だったろうと想像します。
ようやく病魔から解放されて今頃は喜んでいるでしょう。そう思いたいです。
今年3月4日に、12歳年上の姉が亡くなり、仲の良かった姉でしたから落胆も酷く、
その後、彼の体調もすぐれなくなりました。姉のお骨納めは昨日でした。
姉と弟、今頃何処かで出会っているでしょう。
お弔いの後、後始末(特に書類の書き込み)に追われますが、もう少しで終わります。
ご心配いただきましたみなさまに深く感謝申し上げます。
写真はお借りしております。
« ご無沙汰してしまいました。 | トップページ | 家の周りに »
hiro さん
御主人の突然の悲報に驚いております。
ご心情をお察しするに言葉もありません。
謹んでお悔やみ申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
ご落胆もいかばかりかと思いますが、どうかご自愛ください。
投稿: 好好爺 | 2017年5月16日 (火) 09時58分
hiroさん やはりそうでしたか・・・
あるいは・・と考えておりました。 何かのきっかけがあると
あっという間に逝ってしまいます・・
お辛い時期が始まりますね。 書類などのある内は
確りしているのですが・・「戦い済んで日が暮れて・・」のあとは
本当に辛い日々です。。
旅に出たい・・一人旅にと・・
そうですね。 仏式ですと 49日100日 彼岸 新盆など
次々と行事があり、一周忌まで縛られますが・・
其れがすんだら ネ・・
小樽も日々遠くなりますが・・今年は行きたいと思っています。
体調に気を付けて下さいね。
投稿: 遠音 | 2017年5月16日 (火) 11時13分
好好爺様
ご丁寧にありがとうございます。夫は昭和63年に体調を崩して定年1年前に退職いたしました。
それ以来の闘病生活でした。病気の事は省かせていただきますね。
道東から小樽へ転勤となりました頃はまだ、大型の商業施設など、小樽築港駅近くには
無かったころで、公宅から小樽港が眺められ、フェリーの入航出航をみておりました。
フェリーで舞鶴へ、そこから京都や大阪へと行って見たいが夢でした。
しかし、とうとう叶うことは無かったので残念に思います。私は、好好爺様のブログから、
そちらのいろいろなところをご案内いただきました。これからも楽しみにしております。
しばらくご無沙汰してしまいましたが、今後もまた、ゆっくりと拝読させていただきます。
きょうは、本当にありがとうございます。
投稿: hiro | 2017年5月16日 (火) 20時42分
遠音さん、去年から肺に水が溜まるようになり入退院を繰り返しました。
今回も帰宅出来ると思って居ましたけれど、掛かりつけの医師に、予約日よりも早くにお願いして
診てもらったところ肺炎を併発していて小樽市立病院に救急車で転院。
治療の甲斐もなく、あっけなく逝ってしまいました。
物が食べられなくなり、中心静脈カテーテル挿入になり「腹減ってるから力がでない!」などと
怒っていましたが、お水も脱脂綿で口を潤すという。4晩、病院へ泊まりました。
5階の東病棟からの窓から、フェリーの出入りがみえるのですが、とうとう1度も見ることなく
長い旅立ちをいたしました。私は朝に夕に、新造船「らべんだあ」を観ていました。
忘れられない思い出となりました。
60年の暮らし、本当にあったような無かったような・・・不思議な感じです。きょうはありがとうございます。
投稿: hiro | 2017年5月16日 (火) 21時11分
horoさん やはりそうでしたか・
何となく普通でないわ!なんて思っていました。
ゴールデンウイークのさなかでしたのね。
今は忙しさに紛れ、来客の応対 書類の整理など後片付けも
大変でしょうね。
60年もご一緒のご夫婦 いろんな思い出がおありでしょうね。
今は無我夢中ですので、お疲れが後で出てきますので、無理なさらず
お過ごし下さいね。
昨日は婦人会で仙台でした。遅くなってしまいました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: kiki | 2017年5月17日 (水) 17時15分
kiki さん ご心配ありがとうございます。
亡くなる前日、普通に話もしていましたので転院を考えていました。
掛かりつけでお世話になっていた医師のところから、救急車で市立病院へ来た時、
まだしっかりしていて、丁度その日が姉の四九日でしたので、甥や姪たちが帰りに
見舞いに寄ってくれたときは、又、退院したら・・・と楽しみを話していましたが
しばらくして「ここは何処かわかりますか?」と聞いたら市立病院だと聞いて驚いていました。
救急車で運ばれたことなど分からないと言うので、私の方が驚きました。
静かに旅立ちました。私は過去の事は忘れてしまいますので薄情者です。
60年暮らしたことになりますが、最後の4日のために居た様な感じで、娘と私で
最後を見送りましたので安心しております。
こちらは、ようやく緑美しく、花々も綺麗に咲く季節です。
投稿: hiro | 2017年5月18日 (木) 07時25分