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2015年7月16日 (木)

憂鬱

 終戦から70年と言う。終戦時10歳、国民学校4年生だったから、
当時のことはよく覚えている。昭和20年7月の丁度小樽祭りには、小樽も
空襲に遭った。

鉄道沿線にある家々は危険というので大方壊されて、敵機の目を眩ますために
もくもくと煙を燻らせていた。
我が家は父が出征していて、母子家庭というので近くの父方の祖父母の家へ「疎開」していた。
母と弟達3人。空いた我が家へは町から従兄弟家族が「疎開」して来ていた。
祖父母、叔母、従兄弟たち5人。家族8人。

叔父は終戦の年5月末に、戦死したと公報が入っていた。
子供でも暗くて不安な日々を過ごしていた。
夜中の空襲は、騒ぎに起こされて恐ろしかった。
それでも小樽はまだ、焼け野原にならないからいいのよ。戦争は必ず日本は
勝ちます!大人たちの言葉をどんなにか信じていたことか。

昨日きょうと、国会のテレビ中継を視ていて、それに小樽祭りでもあって、
70年前をはっきりと思い出した。
これからの日本・・・どのような方向へ進んでいくのか。本当に気がかりだ!

台風11号の進路も・・・あぁ~・・・気になることばかり。

 camera                      紫陽花          

Azisai

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

hiroさん なんだか涙がこぼれてしまいました。
まつりには そんな怖ろしい記憶があって 重なるのですね・・

法案は通すのでしょう。 それをカモフラージュするように
オリンピックの競技場の全面みなおしを発表する

目くらましというのでしょうか?
TVは 大きなニュースにして 私たちの目を他へと
誘導してしまいましたね。

六花さん
ご存じと思いますが、小樽の空襲は昭和20年7月15日・・・
丁度「小樽祭り」でした。
その日、米兵4人を含む38人が尊い命を失いました。
手宮公園にあった高射砲陣地にいたまだ22歳の兵長が、
米軍のロケット弾の攻撃をうけ亡くなって、その後、同僚の
方たちが、公園に残る高射砲の台座跡に慰霊碑を建立されています。
70年経って未だに戦争当時の暮らしは、幼かった頃の経験としては
鮮烈に脳裏に残っております。
もう30年も前になりますが、もしも今度戦争になったら・・・
建物はそのままに、人だけが死んでしまうような戦いね~と話し合いましたが、
恐ろしいことです。
新国立競技場、初めからのやりなおし・・・残りの短い年月で完成までに、
過剰な労働があっては大変ですね!

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