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2009年12月

2009年12月31日 (木)

鯨汁

 鯨汁・・・もう50年、毎年大晦日には作って食べて、今年も
作りましたので安心しております。

東北地方や、北海道の極、一部のお正月の汁物と思います。
北海道でも主に、日本海側の鰊漁の盛んだった頃に、鰊番屋
で食べていたものが、その後、美味しく調理されて来た物なのだ
そうです。けんちん汁に塩蔵鯨が入っている汁と思って下されば
と思います。

調理方法は別としまして、塩蔵鯨(鯨塩皮)の選び方処理の仕方が、
かなり、出来上がりの味に影響します。今年は「みんく鯨」の
塩蔵を、ようやくみつけました。100g680円。小さなマッチ箱
3個くらいかなぁ。以前は、スーパーでも暮れによく見かけましたが、
もう、食べる人も少なくなって売れないのかと思いますね。

とにかく、来年の「でっかい夢」を鯨に託して「鯨汁!」夫にとっては
母の味でもあり、今年も食べることが出来、ほっ!!としております。

つたないブログをご覧いただきまして、心からお礼申し上げます。
訪れて下さった方達、4月の開設から現在5566人、驚いております。
離れている子供達へ、元気で暮らして居ることのメッセージのつもりで
ございましたのに、いつも、ご丁寧なコメントや、メールもお寄せ
下さいまして感謝いたします。今後共、宜しくお願い申し上げます。
みなさま、佳いお年をお迎えなさいますように

2009年12月29日 (火)

お餅

 お正月の支度といいますと、先ずお餅の支度。
家にも臼と杵があり、夫の転勤でT島へ渡ることになるまで、
毎年、暮れの一仕事でした。その後は「餅つき器」を使うことに
なりましたが、今年も無事に搗きました。

夫婦二人での生活、今はスーパーで買ってきた方がどんなにか
楽なことと思います。でも、やはり、自宅で自分達の分と、娘達
家族の分を搗き、離れているところへは送って一息ついております。

親の気休めでしょうねぇ。まぁ、お雑煮だけはきっと、お正月に
食べることが出来るでしょう。

もう51年も前、夫の実家でお餅つきの時、姑から豆餅を搗くために
お米の蒸し方から教わりました。黒豆は布巾で軽く拭って洗わない。
お米を蒸す時に黒豆をガーゼ又は、晒しに包んで蒸篭の真ん中へ
置いて蒸すこと。塩加減が味を決めますから難しいと思いました。
今年も美味しく出来ました。夫の好物です。年寄りの喉の詰まりを
うるさく気をつけながらですが、先ずは今年も無事にお年越しを
迎えることが出来ます。

2009年12月27日 (日)

もうすぐお正月

 今年も残すところ4日となりました。
この2~3日は雪が降らなかったので助かりました。今日は
久し振りに気温が日中5℃にまで上がり、凍っていた玄関の
階段も綺麗になりました。

遠くの増毛連峰がはっきり見えましたが、このような後は時化る
そうで年末のお天気が心配です。

先日、一度に大雪が降った後、しばれが続きましたので、
家の前は路面凍結。市のブルトーザーが入り除雪しましたが、
今度はまた、つるつる路面。融雪剤や、砂を撒くとよいのですが、
融雪機を傷めるというので使いたくないし・・困ったものです。

暫くは雪との戦いです。まぁ、3月初めまで!
もうすぐお正月、新しいキャンバスを広げる様な気持ち。
来年も平凡でいいから穏やかに暮らしたいと思います。

写真は「ブルトーザーの除雪」と、部屋で咲いているキリン草

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2009年12月24日 (木)

「お正月はどちらで?」

 後、一週間でお正月。気忙しいだけで、さっぱり前へ進まずに
過ぎてしまいます。ただ、今年も無事にお年越し出来そうなので、
これで何よりと思います。

 「お宅では、お正月はどちらで?」と、知り合いに聞かれまして、
「あぁ、我が家で過ごします」。
「お二人でしたら、温泉でもいらっしゃるといいのに。
温泉は近くにありますし・・」。このような会話を何度か・・・・・・・。

お年越しはもう50年この方、温泉などへ行ったことはありません。
まだ、どちらの両親も若かった時、私共も若い世帯で子供も小さかった
頃には、親たちが喜ぶと思って、夫のお正月休みに入るとすぐ、
遠くからでも親の家へ帰ったものです。どちらの両親宅にも、弟妹
まだ同居年齢でしたから、それは賑やかなお年越しとお正月でした。

「お正月はどちらへ?」「温泉へ行ったら、家事も無く楽だわよ」・・・・・
一度、まぁ、近くでいいから温泉でお年越し・・・いいなぁ・・・
夕飯を食べながら、夫にこのことを話したら、
「家で正月、のんびりして一番でしょう、どこか行くなんて嫌だね」。

かくして今年も、これから毎年同じ我が家の「おせち」で、お正月を
迎えることになります。

2009年12月20日 (日)

アンティーク・オルガンと朗読の夕べ

 ちらつく雪も時間が経つと結構な積雪です。でも今朝は、
さっと片付けで済みそうです。昨日は一夜の内に30cm位
積もりました。その後は快晴になりやれやれでした。

毎月一回、もう40回続いている市立小樽文学館で開催の
「大人のための読み聞かせ」(午後2時から3時半まで)へ
出かけました。

今月は「アンティーク・オルガンと朗読の夕べ」ということでした。
クリスマスも近いので、文学館会場カフェ・コーナーも、場外に
椅子を追加するほどの・・・100人は集まっていたでしょうか・・・
時間ぎりぎりの滑り込みでしたから、まぁお恥ずかしい!
一番前の椅子へ。この頃、耳遠くなったようだから・・・幸い!

「宮沢賢治童話集」から「セロ弾きのゴーシュ」
瀬戸内晴美「嵯峨野より」から「冬枯れの道」
どちらも「小樽朗読友の会」の女性お二人の朗読と、オルガンは、
教会でオルガンをお弾きになっている女性、パイプ・オルガンを
お勉強なさった方で、オルガンと朗読交互に・・・
会場に灯る小さな蝋燭も雰囲気にマッチしていて、とてもいい
ひと時を過ごしました。

2009年12月19日 (土)

大雪です!

 雪が少なくて年寄りは喜んでいたのですが、一夜の内に
大雪になりました。今朝は6時から除雪に励みました。

まだ暗かったのですが、ご近所の方はもう大方片付いて、
我が家のところも、手伝って下さいました。

いよいよ融雪機も稼動!うなりを挙げて・・・お札束燃やす様な
複雑な気持ちです。半分溶かして、後は市の除雪作業を待つ
ことにいたしました。うんざりです。

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2009年12月18日 (金)

旬の魚

 いよいよ寒くなって参りました。3日連続の朝除雪です。
今のところは、家の周りの少しの空き地に積み上げますが、
また2~3日続く様でしたら融雪機を使うことになります。

市場へ参りますと冬の旬の魚貝類、出回って来ました。
たら・ひらめ・あさばかれい・かじか・はたはた・くろがれい
かき・ほっき・・・

先日、朝日新聞に目を通しておりましたら、日本人の好む
干し魚のトップが、ほっけ、次が、あじ、ししゃも・・と載って
いました。
ほっけ は、夏が旬なのだそうですが、こちらでは年中みて
おります。背開きにしてさっと塩をし、天日干しいたしますと
とても美味しいのですが、値段も手ごろなところから又か!
なんて言われたりいたします。フライでも、味噌漬けでも、又、
すり身にして自家製かまぼこ にして、お汁や揚げ物にしても
重宝いたします。

ほっけの干物、観光においでの方が、函館の朝市や、釧路の
炉ばた焼きで召し上がっているのをみますと、本当に美味しそう
です。同じ物を家庭で食べるのとは違った魚に見えるから
不思議です。はたはたも美味しいですね。

かじかの味噌汁・・・亡くなりましたが大阪で暮らしていた弟が
今頃になると「小樽で かじか汁 食べたい」とよく連れ合いの
Y子さんに言っていたそうですが、彼女は「蛙の汁」と思って
いたそうです。ひらめ は、お正月近くなりますと高価になりま
すから、今のうちにいただきます。毎日の食事の支度、
お財布の中身とにらめっこですねぇ(笑)

2009年12月13日 (日)

夜の街

 何か怪しいタイトルになりましたが、今の小樽の季節としては
暖かく雪も無いので、夕飯後、南小樽駅近く・・・堺町まで行って
来ました。

昼間、観光スポットとして、この時期も人通りの多い所ですが、
最近ハート形の電飾が綺麗というので暗くなると若いカップルが
写真を撮っているところです。なるほど・・・順番待ちをするほど
賑わっておりました。

堺町通りを抜けて、小樽駅前中央通りまでは結構距離がありますが
テクテク歩きました。運河プラザ前に今年は珍しいクリクマスツリー
を飾っています。毎年、雪あかりイベントで運河に浮かべるガラス玉を
利用した「ツリー」です。

雪の季節に雪の降らないことで、いろいろと心配も出て来ます。
明日からは雪の予報。今夜はとても冷えて参りました。

・・クリックしてご覧下さいね・・

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2009年12月12日 (土)

12月12日

 今日は私の父の祥月命日です。それに、母の誕生の日。
小樽に雪の無いこの日、本当に珍しいことです。

父は62歳で亡くなり、もう38年経ちます。母は82歳で亡くなりましたが、
存命であったら今日は、99歳でした。私の結婚した当時はまだ二人共
47~48歳頃と思います。極めて平凡な暮らしの中に、子供6人も
いましたから苦労の連続であったろうと・・・今になって思います。

あぁ・・苦労ばかりかけてしまったと思います。父は今、きっとよく人の
面倒をみた人だから極楽で好きだった「どじょうすくい」で忘年会かな?
母は、お花を活けるのが趣味だったから・・・着物を上手に着こなして
・・でも、愚痴の多い母、あちらでも愚痴っているのかな・・・

普段は、極楽も地獄も天国もある筈は無いでしょう、と思うのですが、
父母のために、のどかなあの世がありますように・・・今日は思います。

2009年12月11日 (金)

忘年会

 夕方、買い物帰りのバスの中で若いOL二人、今年の忘年会の
話に花を咲かせておりました。あぁ私にも・・二人のように若い日も
あり、忘年会もあったなぁ・・と、懐かしく後座席の話を聞いていました。
何せ大きな声で話すし、笑いも大きい。それでこちらも貰い笑い(笑)。

もう半世紀も前のことになりますが、職場での忘年会はその日のため
に、着物を新調、それからまた、新年の集まりのためにも支度をする、
足りないから少々、親掛かりのところもありました。

当日、忘年会会場は「料亭」。仕事上、全員集まることは出来ないので
半々でも、70人近くでしたでしょうか。上司は2回出席・・・
初めはご挨拶や何かで緊張していましたが、段々お酒がまわって来る。
芸達者な方達が、次々と拍手、手拍子で登場。カラオケの無い時代で
お三味線も華やかに・・・ただただ、物珍しく楽しいものでした。

いつも難しいお顔の上司の番になって驚きました。すっかり人格変貌!
踊る踊りがなんと!「しらみおどり??」・・・本当に驚きました。
・・かゆい、かゆいの手拍子にのって、先ずハンカチーフから、しらみを
払うようにポイーッと投げつける。次はネクタイ、靴下と、シャツもね!
観客は、本当に「しらみ」のついた衣服から逃れるようにキャーキャー。

次の日朝会で、思い出し笑いに口を押さえたら、
「こらー!」と怒鳴られてしまいました。お酒の席でのことは、
その場限りのことと、教えられました。
奥様のことをいつも、「うちのお多福おかめ、あほんだら」と
言っていましたが、すごい美人。男の方は反対を言うのだな?
と、いろいろと、社会勉強をいたしました。

大らかで、楽しい時代だったと思います。忘年会・・懐かしい・・・。

2009年12月 7日 (月)

呼び名

 最近、姪のブログを読むことになり、若い主婦の日常から、
いろいろと教えられることがあり面白いです。姪は31歳。
連れ合いと、幼稚園年中組の男の子のいる家庭。

いつも思うのですが、結婚して相手のことを何て呼んでいるのか、
また、手紙やブログに何と書き込むのか・・・

姪は連れ合いのことを、バービー、時によっては、パパ。
ハー!!ちょっと、ハンサムなお婿さんだから、お似合いか!
パパ?我が家は似合わないから「おとうさん」と呼ばせました。

さて?我が家!私の名前は「おい!」・・・私は夫を呼ぶとき
「あなた」とずーっと、言っているのに「おい!」。
先ず結婚して51年経つのに名前を言われたことなし。(笑)
あきれた夫婦です。私の名前もしかして忘れたかも!!

2009年12月 3日 (木)

坂道

 昨夜の冴えた月の美しかったこと!まん丸でしたねー。夜半、
降り出したのか・・朝、カーテンを開けましたら銀世界。今日一日
溶けずに終いました。いよいよ冬です!!

買い物がてら、少し遠回りして散歩のつもりが「二歩」止まり・・・
道路はぐちゃぐちゃの所や、日蔭は路面凍結。道路の端を、まだ、
足跡のついていない所を選んで歩きました。

小樽は坂道が多いので、冬道は大変!今までに何度、滑って
しまったことでしょう。頭を打ったりして怪我をして大事にならずに
済んでいるのが不思議です。その内早く「認知症」になったりして!
今日も、銀鱗荘の坂は横に下りてまるで、蟹さん歩きでした。

わざわざ、悪い道を歩かないでもよいものを・・・と思いながらも、
平磯岬からの雪景色を観たいばかりに・・・
気忙しいこの季節、一時の気分転換です。
・・写真は桜町を横断する「札樽高速道路」若竹トンネル上から・・
・・雪の銀鱗荘・・
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2009年12月 2日 (水)

師走

 今夜は月がとても綺麗です。「月冴える」というのはこのような
ことを言うのでしょうか。でも真夜中から雪降る予定と天気予報。

今朝の新聞によりますと、昨年は11月20日には除雪車始動と
いうことですから、今年は遅い積雪、助かります。いつもは、
11月一杯で営業を終えるパークゴルフ場もまだ営業継続中とか。
一方で、積雪を待ち、除雪作業に携わる人々の生活もあり、
この時期、複雑な思いです。うっかり、「雪降らなくていいねー」は、
相手により禁句でもあります。

12月は、思い出の中に様々なことがあります。
6歳の頃、父が出征。一週間置いて、叔父が歓呼の声に送られて
そのまま帰らぬ人となりました。48歳でS63年に亡くなった弟、この
4日でもう、21年になります。
12月12日は父の命日。月を眺めながらふと、今は亡き懐かしい顔を
思い出します。・・・当時はとても寒くて雪深いと記憶いたします。
・・・せっかく冴えた綺麗な月を眺めながら暗い話になりました。

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