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2009年8月15日 (土)

終戦記念日

 昭和20年8月15日終戦の日。
国民学校4年生(10歳)でしたから、
その日のことをよく覚えております。

昼頃、ラジオの聞き取りが出来ずピ~カ~~と煩くて
その後、竹槍の訓練に出かけた叔母が息急ききって
帰宅「ねーさーん、戦争終わったんですとー」と、
母へ呼びかけて、座り込んで・・・。
大人の不安いっぱいの話を耳にしながら何故か子供心に
「ああ、今日から暗くしなくていいのだ」と思ったものです。

当時父は出征中。母子家庭ということで、私と弟3人、
母と、近くの祖父母宅へ疎開。また、従兄達家族も
避難というので近くに住み、親戚や知り合いの荷物が
まるで物置のように積み重なっている状態でした。

終戦後の混乱はひどいものでした。その中、父は復員。
何よりもうれしいことでした。しかし、従兄の家では、
11歳を頭に5人の子供を残して叔父(33歳)は戦死しました。
叔母(当時32歳)は年老いた舅姑と5人の子供を抱え、
戦後の混乱の中を暮らすことになってしまいました。

親戚の戦死者は5人。満州や北支から伯父家族、又
叔父はシベリアから、無事に引き揚げてみんなの顔を
みるまでかなりの期間心配が耐えませんでした。

今日は、昨年亡くなった叔母(75歳)の一周忌法要。
彼女も、樺太で女学校入学間もなく終戦を迎えた人。

・・平和に暮らすとはどういうことか・・考えてしまいます。

追記・・・終戦時 父36歳 母35歳 私10歳 弟(8歳・5歳・3歳)
           昭和21年弟 24年妹誕生。特に妹誕生の折は、夜、
     節電のため停電。産湯を使うのにローソクで照らして
           手伝いました。 賑やかな8人家族の思い出も、もう
           昔話です。 

Ubayuri   山道を歩いていましたら、
 オオウバユリがひっそり咲いていました。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

t.s さん、コメントありがとうございます。
戦争の体験は本当に、思い出すのもイヤですが、
でも、経験した者が何かで話さなければとも思います。

食料難はひどいものでしたね。幸いにも、祖父母の
畠で芋、かぼちゃ作っていましたので手のひらが黄色くなって・・
でも、助かったのですよ。8/19記          

ブログを再度拝見し,当時の事が蘇って来ました。何も食べる物がなく盃1杯のお米に豆か豆粕、何時死ぬかわからないので親元には毎日手紙を書きました.
Ⅰ度罹災し(川崎の大空襲)家に帰った時配給制で役場に証明をもらいに、、、
貴女方に親御さん達が町の食料を皆な送って何もなくなってしまったよ、と言われたことを思い出しました.今の時代に何でも食べる物があるのと違い何でも食べたので今の年寄りは元気で生きているのではと、思っています。

  t.s さん、お目をお通し下さって感謝いたします。
終戦近くには、栄養失調になりガラガラでした。
今、この話をしますと「えっ」と驚かれます。
世界中、平和で暮らせる様に祈ります。

8月15日の終戦私は川崎から学徒動員で2日前に校長先生がこんな危ない処に1日も置いて置けないと無理に引き上げて連れ戻してくださいました。そんな訳で生きながらいています。引き上げた後私達の寮が空襲でやられました。何時も思い出しています校長先生のお陰と感謝しています。19の春よ春よの唄を思い出します。

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